晴耕雨読のわたしに、いま新たな楽しみができた。豊かな自然と畑の野菜と、地飼いの鶏たちの産んでくれる新鮮な卵に加えて、なんと菓子クルミが実をつけているのだ!樹齢十三年、この菓子クルミには心に沁みる歴史がある。今日は、そのお話しを聞いて頂きたい。
この菓子クルミの話しは、犬好きのわたしが最後に飼っていた「健太」の話しでもある。十七年余の年月をわたしと過ごし、十三年前、健太は尿結石が原因で死んだ。東京で犬の飼えないマンションに隠れ住んで、夜半の散歩時まで小水を我慢して(とわたしはいまでも信じている)命を縮めた健太は、雑種ながら超賢い犬だった。ひとの言葉が分かるとしか思えない気配りが、時には哀れにも思える犬らしくない振る舞いに顕れて、わたしはしばしばほろりとしたものだった。
さて、死んだ健太はいまわが家の庭隅にしつらえた墓に眠っている。埋葬と時を同じく、健太の魂の証しとして一本の樹木を植えた。実をつける樹木として菓子クルミを薦められた。そして十三年、幼かった苗木はいま幹径十センチ余、樹高十メートル余の見事な菓子クルミに成長した。
「健太の菓子クルミ」。毛虫ばかりで一向にクルミが見えなかった健太のクルミの木に、この夏初めてちらほらと緑の玉が見え隠れしているのだ。待望の菓子クルミ、料理好きの愚妻の喜ぶまいことか、一個皮を剥きクルミ色を確かめて欣喜雀躍。いずれケーキやらなにやらで、健太のクルミがわが家の食卓を賑わすことだろう。
健太。彼と生きた年月はちょっとしたドラマだ。短編一本も書けそうな数奇な「物語」で、また別な機会に是非聞いて頂こうと思う。今日はクルミの木とのご縁で、出逢った初っぱなの健太の様子をお話しして、本稿を閉じることにする。
世田谷は奥沢、いっときわたしが住んでいた街だ。自由が丘が東に、尾山台、等々力が西に隣り合い、大井町線の駅のロータリーが待ち合わせの場所によく使われていた。柔道の斉藤仁をよく見かけたものだ。ロータリーから東へ、アーケードの先に本屋があって、近くの立木に一見白黒の雑種犬が繋がれていた。鼻の辺りに傷があり、耳には血の痕があった。
咄嗟に近寄って首を擦り、顎を支えてこっちを向かせたときの表情に、犬とは思えぬ「風情」を見たのがすべての始まりだった。だから健太は、わたしには初手から犬とは思えぬ存在だったのである。
あたかも十三回忌を知らせるが如くに、健太はいまクルミになって蘇生し、わたしの晴耕雨読に更なるひと味を加えてくれた。懐かしい健太、クルミを有り難う。
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