これは、傘壽のわしが二十歳に満たぬと門前拂いを食ったという話じゃ。いや、トドのつまりは日本語はなんとややこしい言葉かと、そのややこしい言葉を外國びとにして信じられぬほど習熟することがあるものだ、というオチのついた話だから、どうかお付き合い願いたい。
わしは昨今、賣文に勤(いそ)しんでおる。ここであれこれと書き連ねる傍に、SNS を介して時には日本語で時には英語で、あるいは翻譯あるいは書き下ろしで雑文を書いては賣っておる。年の功と言おうか、これが存外に好評で結構引き合いがあるのじゃから、世の中なかなか捨てたものじゃない。
先日はパレスチナ問題を論じる一篇を訳したのじゃが、(さてこの邉りからマクラなのじゃ)その稿料の支拂いにPayPalを使いたいが口座はお持ちかとの先方のお問い合わせじゃ。以前の口座がデータが古く、新たに開こうかとPayPalに電話で問い合わせると…。
どうやら受話器の向こうに巧みに日本語を話す女性が出た。
巧みにというのは、口調から歴然と外國人だったからじゃ。外國人では相当に難度が高かろうわしの日本語を、「何なく」聞き取るではないか。その時は、わしは寧ろ感心しながら説明を聞き、電話を切ったのじゃ。言われた通りサイトを開き、指定されたデータを打ち込んで送った。住所、氏名、生年月日云々という定番データじゃ。傘壽を二つ越えたわしは昭和十年の生まれ、西暦でなく昭和十年と書いたに違いない。(ここが話のヘソの部分じゃ)受付されて数日中にパスワードが送られてくるという。
数日して、郵便ではなくメールが入った。曰く、「二十歳未満のご登録はお受けできません。お届けのデータは責任を持って消去させていただきます。」メールの発信者は果たせるかな、カタカナのダイアナとか。早速の電話じゃ。問い詰めたら、暫時して返ってきた回答はデータの確認間違いで、ダイアナ嬢は平謝り。
その場は、即刻に登録処理をやり直すとのことで一件落着。直後に不手際を詫びるメールに苦情処理アンケートを添えて、わしの意見を聞いてきた。わしはそこで年齢取り違えの原因を、と問いかけておいたが、いまだもって釈明はない。口座は無事開いたから、何ということはないのだが、二十歳未満にされたむず痒い思いが残ったのじゃ。
平成十年
ここからはわしの楽しい推測じゃ。これがお話ししたくてここまでお手引きをしてきたのじゃから、ぜひお聞きいただきたい。わしが思うに、当初書き込んだ生年月日のデータは昭和十年、ダイアナ嬢はこれを平成十年と早合点した、と。平成もすでに二十九年、十年と言われてまさか昭和十年とは思えなかった、というのが彼女の迂闊!平成十年生まれなら、わしは本年十九歳、確かに二十歳未満じゃ。恐ろしや、日本語。呵々。
手安い落語ならこれで落としてもいいところだが、わしの噺には二段オチがついておる。
栃ノ心の日本語
相撲界に群れる外國人たち。モンゴルでもグルジアでも、どこでもよいからご贔屓の外人相撲取りを連想されたい。白鵬にしても鶴竜にしても、欧州人の栃ノ心でも碧山でもいい。彼らがインタビュールームで話す日本語を思い出して欲しいのじゃ。日本語独特の言葉の陰影など、言い回しの妙とかも彼らは呆れるほど巧みに身につけておる。映像がなければ、日本人そのものじゃ。
半世紀の余を英語で過ごしてきたわしは、あれら外國人相撲取りたちが、この厄介な言葉をどのように「覚えたのか」に滅法興味があるのじゃ。と言うよりは、日本人の影もないアイダホの山奥をあえて選んで住み着いた二十歳の己れを、まざまざと思い起こすのじゃ。雀百まで、とはよく言ったものじゃ。わしもこの歳になっても、英語で寝言を言うほどに体にこびりついている。傘壽の栃ノ心が目に見えるようじゃ。言葉を身につける「奥義」のなんたるかを、しみじみと思う今日この頃じゃ。
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