日々の出来事といえば、晴耕雨読の晴耕の賜物、絶品の玉ねぎを収穫して、いま「ステーキさながらの味」に酔い痴れている。これは、都会にお住いの読者諸賢には、おそらく思いも及ばなかろうほどの美味なのだ。
言葉には相当の自信がある私だが、厚み豊かに輪切りして両面を素朴に焼き上げて醤油で食らうときの味わいを、どう表現していいやら、途方にくれるのだ。滲み出る甘みは、砂糖を施したかと疑わせるほど際立っている。なるほどフランス料理はこれを狙ってか、と窺いしれる自然の旨味が、噛むごとに広がる。
晴耕とはいえ傘寿の身、手間のかかる作物は手に負えぬ。美味い野菜は虫たちも知っており、彼らとの戦いには挑まぬことに決めている。小松菜は栄養価が高いと知りながら、でき秋の虫取りは半端な作業ではない。白菜なども夜盗虫さえいなければ、樽単位の漬物が欲しいいところだが、あえて敬遠している。
放っておけば勝手にできる野菜はないか。足腰との相談で決まるのがわが菜園の作物選び。勝手にできるなど虫が良すぎると思われようが、実はこれがあるのだ。葉っぱものなら「のらぼう菜」、これは江戸の昔、飢饉に泣くお百姓たちが知恵で見つけた葉菜だという。わが庵から遠からぬ東松山から小川辺りが発祥の地。なんともニュートラルな味で、どう食べても美味い。おまけに鶏たちが、こののらぼう菜に目がない。無駄のない野菜だ。
さて、勝手に育つ野菜のもう一つが、実は先刻の玉ねぎなのだ。有難いことに虫つかず、手間いらず、肥やし食いでもない。なんとも申し分のない作物だ。それに、何と言ってもその美味。使い勝手の良さも万人の認めるところだ。
わが庵にはいま、新鮮な地飼い鶏卵と玉ねぎが溢れている。輪切りの焼き玉ねぎとsunny-side upなら、私は毎朝でも厭わない。旬のえんどう豆がつけばご満悦だ。手を替え品を替え、これからわが庵の食卓は玉ねぎで賑わう。晴耕の恵み、誰に感謝しようか。
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