時は春、静から動へ、自然はこの季節を境に動き出す。梅がほころび櫻が咲く。雪が解け樹々が芽吹き、人が別れ、人が出會ふ。春機發動期という言葉をご存知か?わしが高校の生物で覚えた言葉じゃが、粋な教師はこれを思春期の若者がいらいらする時期だと解説して、クラスの爆笑を呼んだ。自覺が伴うから理解は早い。以後、校内でこれが流行った記憶がある。
學校と言へば、春は卒業と入学。そうだ、思へば卒業式で「仰げば尊し」があまり聞かれなくなって久しい。螢雪の功を競った仲間、學びの醍醐味を味わせてくれた師との別れ、かつて卒業式はその感情が一堂に溢れる壮大な儀式じゃった。「仰げば尊し」は、その儀式で思ひを込めて歌ふ定番歌じゃった。「やよわするな」、「やよはげめよ」と、萬感を込めて生徒たちは聲涙ともに歌ったものじゃ。
その「仰げば尊し」が、いま、「卒業式で歌われる歌」の順位で第二十二位じゃという(2014年2月調べ)。ベスト3は、「3月9日」が第一位、「YELL」だ第二位、「旅立ちの日に」が第三位だそうな。寡聞にして、わしはそのどれも知らぬ。まして、横文字の歌が日本の卒業式で歌われているなどとは、慮外なことじゃ。わしはこの三つの歌の歌詞を讀んでみたのじゃ。どれも未来、夢、飛び立つ、などの語句がはじけておる。煎じ詰めれば、「前向き」、後ろを振り返る仕草は影もない。
前向きがいけないとは、わしは言はぬ。言はぬが、物事すべて相對的に仕組まれている。両手があって初めて柏手が打てるのじゃ。前のめりの動作は不均衡をもたらす。必ず後ろへ反動するベクトルがなくてはならぬ。その原理を學業に例えれば、未來志向で前へ前へとのめる前に、そのエネルギーがどう蓄えられたかを思わねばならぬ。
「仰げば尊し」は振り返りの歌だ。學舍を懐かしみ、友をいたわり、師を敬ふ。「仰げば尊し」はそんな歌だ。今ある自分がどう育ったか、振り返りの歌だ。いま、政治が動いている。国の有り様が変わりつつある。この時に、この時こそ、幼きものたちに物の道理を教えねばならぬ。浮ついた前向き思考は不均衡を生むのじゃ。柏手の摂理を忘れてはならぬ。
「仰げば尊し」が第二十二位であってはならぬ。遠からず、この歌が津々浦々に響き渡ることを、わしは心から願っているのじゃ。
ご機嫌よう。
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