AI人工頭脳と人間翻訳の葛藤やいかに、と言う話しの第二回がアップされている。前回の「衝撃」を受けて、今回は次回へのブリッジに囲碁界の受けたショックの深さを敷衍している。私は技術屋ではないので、人工頭脳を客観して考えることができない。だから、書くにしてもコメントするにしても、専らその脅威なり衝撃なりを受け止める側の実感となるのは是非もないところだ。
だが、ことがわたしの本業とも言うべき翻訳に関わるとなれば、これはまた別問題だ。端から見れば、風車に挑むドンキホーテさながらの戯画とも思しき様かも知れない。が、つらつら思うに、こと翻訳に関しては、AIは必ずしも囲碁を席巻し去った如くに、軽々と人間翻訳を蹴散らすわけにはいくまい、と思うのだ。あたかも囲碁の一局のように、押すところは押し引くところは引いて、とどのつまり、トータルとしての翻訳文化にはAI翻訳には及ばぬ境地があり、人間翻訳こそがその世界に君臨するだろう、と、いわば止めを刺したいのだ。
AI 人工頭脳の話しは、昨今しきりに論じられ、語られている。まさに時流に乗ったテーマだ。このコラムはそんな流れに乗りながら、それに棹差して人間翻訳の本義を全うさせたいとしきりに思う。
このコラムは、人間翻訳のプロであるわたしが、いわば翻訳の女神を守って敷く戦陣と言える。AIとの葛藤を語りながら、幸便に翻訳の本質について蘊蓄を披瀝する格好の場に等しい。数回に及ぼうコラムだが、そのエピローグまで、わたしの翻訳四方山話としてせいぜいご愛読いただくようお願いしたい。
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