大使館から封書が来た。咄嗟に封が切れなかった。「審査の結果査証は発給できない」などの文言が予感されて躊躇ったのだから、まあ、異常な心理状態だったわけだ。わたしは思いきって開封し、読み下した。現金なものだ。その時のわたしは天地が動転したのを感じた。谷底から崖の上へ、わたしは舞い上がった。少なくとも、門戸途絶じゃない。要は審査に通ったこと、直接来館乞うという内容だった。今にして思えば、その封書を保存しておかなかったのが残念至極だ。
わたしは大使館へ飛んだ。マイヤーさんは我がことのように喜んでくれた。これはひとえにチェイフィー博士のご尽力だと彼女は言った。前例がないとも言った。あなたが頑張ってくれればいい前例をつくることになるのだとも言ってくれたのだ。「旅券がとれたら来てください。」
マイヤーさんの声を半ば背中で聞いて、わたしは雲に乗る気分で大使館を出た。隣の文化センターの脇を虎ノ門へ向かう道は輝いていた。その足で丸の内へ、わたしはこの吉報をまず須田さんに知らせたかったのだ。ぬっと現れたわたしを見て須田さんは「やあ」と手を振りこちらへと手招きされた。わたしの話を聞くや、それは素晴らしいと喜んでくれた。あとは旅券とドルだなと言ってわたしの肩を叩いてくれた。「いま外貨がないからね。大蔵省は出し惜しみするから、手こずるかも知れないよ。でも君ならなんとかなるさ。ぶつかるんだ。」 そういってVサインをしてくれた。
一ドルはそのころ三百六十円だった。日常の生活にはドルがいくらかなど無関係なことだった。それはそうだろう。ドルで何を買うわけでもなし、そもそもドルの姿を見ることがなかったのだから。母校で英語を教えながら、男教師たちの宿直手当を一手に引き受けて、二年間、宿直室に起居してかき集めた金がドルになるかどうかという。これが突如としてわたしにはきわめて只ならぬ問題になって立ちはだかったのだ。須田さんの話では船旅でも三百ドル、いまにして思えばたったの、というほどの額なのだが、ラーメン一杯、三十五円ほどの時代だった。その頃の三百ドルは、実感としては十万、いやわたしには百万ほどの重みだった。査証のなんのと浮き上がっていたわたしには、目の前に悩ましい現実的な難題が持ち上がったのだ。
その十万円は作れたが、大蔵省が外貨を惜しむあまり事情の込み入ったわたしのような渡航者に全額を割り当ててくれるかどうかが問題だと、そう須田さんは言うのだ。昨日今日の話ではない、半世紀前の現実だ。フルブライトの話とは別の世界だ。ほぼあり得ない狭くも細い道を辿っての暴挙だった。薄々予感はしていたものの、押し渡ろうとする太平洋の波は、荒く高かった。ここに来て、越えねばならぬ壁の険しさに、わたしはようやく気づいたのだった。
白河弥生様、
このほど、某紙上でひと記事書き始めました。
「人工頭脳(AI)時代に人間翻訳は生き残れるか?: 第1回 AI囲碁 AlphaGoの衝撃」http://www.zaikei.co.jp/article/20170125/349205.html
ぜひお読みいただいた感想、ご批判など聞かせていただけると有難いと思います。
連載になりますので、あなたからのご意見などを反映もできますので、
忌憚のないところをお聞かせください。
島村様
先日某所ではお世話になりました。
ただいま、時間を見つけましては少しづつ拝読させて頂いているところです。
個々の感想につきましてはまた別の機会にさせて頂くとして、
まずは遅ればせながらご挨拶をと筆を取らせて頂きました。
拝読してて共通して思いますのは、”活きた”文章であるということであり、
ただの体験記ではなく、情景描写が浮かぶような素敵な読み物でした。
これからも、時間を見つけましてはお邪魔させて頂きたいと思います。
素敵な時間をありがとうございました。
白河弥生様、
ようこそお見えくださいました。
「アメリカ苦学記」は、己れをさらけ出してまで何たる…、とのご批判を覚悟して綴っている一少国民の独白です。
少国民とは戦時に醸成された小国粋主義者のこと、戦後10年も経ぬ50年半ば、私は昨日までの敵国に乗り込む暴挙をあえて冒しました。
この書き物は、今日までの半世紀余、そんな若者がどんな八十翁に変貌したかを活写しようという試みです。
日本人の「ある生き方」を追っていただければ何よりです。
ぜひ、引き続きご笑覧ください。周辺にもご吹聴いただければ幸いです。
家内の進言で、裃調の口調を改めたところです。
ほかに、「世迷い言」は生来の語り口を残して、巷のあれこれを語ってみたい、との企画です。
実は、あなたにはこちらの筋にこそご意見を聞かせていただきたいものだ、と願っています。
刀鍛冶の「相槌」を願えれば、望外です。
落語の英訳については、仰る通り、私はこれに限らず日本の文化の伝播を狙っています。
キーンさんの仕事には感謝し切れませが、日本文化の解釈にも西洋臭が混じります。
日本の文化ならもの思う日本人が書くにしくはない。侘び寂びは日本人でなくては、本質的なところは分からない、という思いが消せません。
だから私は翻訳を志すものは、日本語を鍛えるのはもちろん、英語にも達して二刀流を目指せ、と世に語りかけています。最近書いたkindle本「グローバルエイジのツール 二刀流翻訳術」ではそのあたりの思いを盛り込んでいます。機会があったらぜひご笑覧いただければ、それに「相槌」のコメントでもいただければ、鬼に金棒です。
お立ち寄りいただいたことにやや興奮して、長いお返事になりました。
意のあるところをお酌み取りいただければ、幸いです。
ありがとうございました。ではまた。
島村