奇跡が起きた(6)

そう、あれは紛れも無く奇跡だった。どうにもなるまい、と、歯軋りしていたある日、一通の航空便が届いた。アイダホ州の短期大学からの、心なしか分厚い封筒だった。分厚いだけで良き知らせか、と浮つくほどその頃のわたしはテンションが高かった。

そして、それがズバリ当たった。一縷の望みが見えた。その短期大学の学長が、地元で仕事探しの便宜を計らう、ということだった。金を作るための仕事探しを大学で支援しようという話だ。一歩前進である。

わたしはこの返事を持ってアメリカ大使館へ出向いた。査証発給のセクションに行って、これこれこういうわけだと話してみた。担当官の第一声は「そんな話は前例がなく支援では保証にならない」、だからだめだという。前例など作ればいいし間違いなく働いて資金をつくるからと、抗弁したくとも十分な言葉がない。単純な応答がせいぜいなわたしの英語力ではその先の交渉は無理というものだった。言われっぱなしで大使館を出た。

あれが最初の折衝だった。のっけからがんと一発叩かれて、わたしの頭は真白になった。確かに保証ではないが、取りあえず仕事探しを助けてくれるところまで漕ぎ着けたのだ。よし、もう一押しをと、わたしはその短期大学の学長、チェイフィ博士に座り直して手紙を書こうと決めたのだ。思いをぶつけて見よう。こんな思いでいるのだと、訴えてみよう。

それから何通の手紙をチェイフィ博士に書いただろうか。返事を読むのももどかしく、書き続けた。もう英語の巧拙など意識にはない。ひたすら書きまくった。手元に写しでもあったら相当な読み物になるだろう。声涙ともに下る文章が連綿と続いた。そのうちわたしはチェイフィ博士が目の前で聞いておられる妄想を覚えるようになった。

「あなたの手紙は真に迫るものがありましたよ。」

チェイフィ博士は後年わたしにしみじみ話してくれた。自分で書きながら、自分の言葉に自分が挑発されて、わたしの言葉は便を追うごとにテンションが高まっていった。どうしても行きたい、アメリカで勉強してみたい、どんな苦労も厭わないなどなど。そんな手紙を矢のように書き続けたのだった。

その間、わたしは浦高を卒業、中学時代の恩師の知恵で代用教員の講師免状を取得し、母校、加納村立加納中学校の教壇に立っていた。男性教師の当直を一手に引き受けて手当を稼ぎ、給料に加えてせっせと渡航費用を作った。教室では英語を教え宿直室では手紙書きに没頭した。アメリカ史を学びアメリカ文学を読みふけって「その日」に備えたのである。

そしてある日、いつものように赤と青の鎖模様の航空便がチェイフィ博士から届いた。開けるまえから何気なくよい知らせの予兆を感じた。一読して、わたしはその日が遂にきたことを知った。チェイフィ博士は大学構内で仕事を保証するからこの手紙を持って大使館と直談判せよと書いてこられたのだった。

欣喜雀躍とはこのことだ。わたしは目の前がにわかに明るく開けるのを感じた。これならよかろう、これなら大使館に故障をいわれる筋合いはなかろう。これでアメリカへ行けるぞ、と拳を握った。

ご機嫌よう。

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