知恵袋はいいぞ、あそこでひと理屈こねてみよ、と人に言われて覗きこんで三年、答え重ねた何千という質問から、世の英語学習者の悲哀を見た。それがこのHPにつながっている。前口上が長くなったが、つまり私の考えはこうだ。
知恵袋で何千もの質問に答えながら、なるほど、ひとはこんなふうに英語と取り組んでいるのか、こんな落とし穴に入って悩んでいるのか、という現実を見知って、私は考えた。そのなかから出色の質問を選り抜いて、私のHPに部屋を設け、番外編として解き直したら、さぞ役立つだろう、と。なんでこんなことが、というような質問もあれば、質問の意味の深さに唸るようなのもある。ここでは、そんな面白い質問を一稿一問で敷衍(ふえん)してみようと思う。
英語に関しては、総じて日本の学校教育に諸悪の根源があると私は思っている。ひと言で無駄が多すぎる。日本語との相関関係を「英訳和訳」の切り口から捉えることに偏り、両語を同文法で捉えることを怠った、ここにバイリンガル性が育たない原因がある。諸賢には、ややかしこまった言い方で肩が凝られようから、そのあたりの機微を一稿一問で揉みほぐして見ようと思うのでご寛恕(かんじょ)願いたい。
本稿はその前触れ、芝居なら前口上、落語のマクラにあたるものだ。
マクラ代わりにひとつ:
Q: Is O.G. the director here, or are we?
“O.G.というのはここのディレクターかね!それとも私たちかい?”
であってますか? 自然な訳しかたがあったら訂正お願いします。
A: いやおそらく皮肉を交えて言った言葉でしょう:「そもそも、ここの’指揮官’は誰だい、OGかい、それとも俺たちかい?」という語感が大切。言葉はそれが吐かれた状況で意味が生きる、という好例です。そもそも、がミソです。
ご参考まで。
♪ 質問した人からのコメント:
感謝!なるほど。 優しい回答ありがとうございます。 助かります。
ご参考まで、というのは私の結びの定句。次稿から、これはというテーマで「英語を料理する」醍醐味をご披露しよう。そもそも英語なんて、一向に難しいものではない。私と向き合うたつもりで、英語を弄んでほしい。そう、一年もお付き合いいただければ、おや、なんか目の前が開けてきたぞ、と思える心境になれるはずだ。
では、次稿まで。ご機嫌よう。
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