Book workのこと(41)

ボイシの日々は学費稼ぎの仕事と食べることと、それにbook workの連続だった。明けても暮れても、そのどれかの組み合わせに追われ、物見遊山など考えもつかなかったのである。

先の二つは兎も角、book workがコトだった。これは本に齧りつくという、並の勉強とは異質の作業だ。地元の学生と同じ冊数のテキストを読むことには異存はないが、それぞれが半端でない頁数で、授業について行こうと内容を把握する以前に、読む量に圧倒されて疲労困憊した。英語に生まれついて言葉の苦労が皆無の奴とは、そもそも土俵が違う。それを承知の留学だとは百も承知だが、現実に放り込まれてみると、この異文化環境は尋常ではない。

いま手元にその一冊がある。連中には國語の教科書でLITERATURE for Our Timeといういう表題の本だ。ほぼ1000頁、本文は二段組で活字は10ポイント、流石に紙質は丈夫で薄く、B5で厚さ5センチの本はイラストなどは皆無でひたすら文字、読みこなすには往生する。

初年度は単位を稼ごうと人文、心理に歴史を合わせて登録したから堪らない、前期(semester)は文字通り煉獄の苦しみだった。意地っ張りを撥条(ばね)に乗り切ったものの、生まれて初めて懲りるという心境を味わった。一俵でも堪(こた)える米俵を二俵担ぎ上げたかの実感だった。

今にして思えば、あれは英語を外国語とは意識しなかった、何とも稀有な一刻だった。言っていることを理解する手立てが英語しか無い環境で、兎にも角にも読み込むことに専念した日々。文法がああの構文がこうのという分別が機能しない場で、遮二無二凌ぎ切ったあの時期を思い起こすたびに、私は目頭が潤むのである。無理が通れば何とやら、ものはなるようになる。私の英語の原点は、あの闇雲の乱読にあると沁みじみ思う。

その頃の同級生がコロラドにいる。Fred Sowerという身近の友で、5つ年長だからもう90歳に近い。異文化に溶け込もうという私の難行苦行を傍で見ていた彼は、ある日、こう言ったものだ。

“You know, your kind of book work will kill you some day, Yasu.”

流石に読書でへたることはなかろうが、彼の戒めは大いに中っていたろう。健康に産んでもらった体だからこそ凌げた一刻だった。私はこれに懲りて、英語での読書法を編み出した。これについては稿を改めてお話しするとして、苦あれば通じることの真理を体験したのは得難いことだった。

幾星霜に及ぶアメリカ生活で、私はごく早くから英語の柵(しがらみ)から逃れていた。以来、読み書き語りのいずれも、それが儘ならぬ事態を経験したことがない。日本人がいない処でという初一念に誤りがなかったと、今更に思うのである。

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