蘇ったhoe

わが庵はいま庭の造作で天手古舞いだ。庭先の雑木をいっそ伐り去り芝を拡張するという大工事で、晴耕雨読の筈が俄に多忙な日が続いている。折からの猛暑もあり並大抵な話ではない。それでも、完成すれば風通しのよい好ましい庭が出現するはずだ。

そんな時、肝心要の鍬(くわ)が折れた。鍬とは云え例の長方形の伝統的な和鍬ではなく、hoeという刃がスペード型の西洋鍬だ。左右の辺が軽く研ぎ挙げ、根の掘り跡を埋め平坦に宥(なだ)めたり、芝を蒔く地面の凹凸を慣らすために土を掻き集めるのに重宝している道具である。これが突然へたったのだ。

芝の種やチェインソー、小枝粉砕機まで奮発してやや手元不如意、好みのhoeは6000円はするだろう。この際これはきつい。へたれた部位が刃と取っ手の継ぎ目だから修理は無理で交換あるのみ。格好な柄は2000円弱、いっそこれも避けるのが思案のしどころだ。

その甲斐あって妙案が浮かんだ。同じ型のレーキが2本あることに気付き、どちらかの柄を転用することを思い付いたのだ。折角付いている柄を外すのは忍びないが、もう一本あればレーキは足りる。

早速取り外してhoeの刃を取り付ける造作に取り掛かる。径2.5センチの丸太の先に巾5ミリ深さ10センチの切り込みを刻むのだが、これが存外手間な作業なのだ。鋸、ノミ、ヤスリの組み合わせで3時間掛けて刻み上げた。ボルトだけは最寄りのカインズに自転車を駆って(膝が結構滑らかに動いている!)求めてきた。hoeのネジ穴をドリルで広げ、太めのボルトとナットで締め上げた。

こうして、わがhoeが蘇った。出来はわれながら秀逸、ボルトが効いて強度は遙かに元のhoeを上回る。つらつら思うのだが、私はものを「拵える」ことにどうやら奇体な才があるようだ。大工仕事に何の興味も才もないのだが、こと好みの何かがへたれば、それを蘇生させたい勢いが出るらしいのである。

思えば、ものを書きながら似たような体験をしている。流れが滞り進むか止まるかの岐路に立って、ままよと放り出した雑文があちこちにある。それぞれ愛着のあるテーマで書き始めたものなのだが、縁が薄く形にならないまま放置されている。ひょっとすると。その中にこのhoeのようなものがありはしないか。また愛着が湧けば、レーキではないが何かを犠牲にして蘇生できるかも。いやいや、hoeとの対比は無理がある、話が馴染まない・・・いや、出来るかも知れない。蘇生したhoeを撫でながらいま思いに耽る私である。

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