小春日和の一日。とても面白い経験をしてきた。べに花ふるさと館にフェイジョアという果物を納入しているUさんの果樹園を訪ねたのだ。
Uさんとはこの春べに花ふるさと館で知り会った。そこで卵を販売している家内がおもしろい果樹園のオーナーさんがいるという触れ込みで、何気なく挨拶したのだったが、たしかに何かひと言ありげな人物で、近いうちに会おうと意気投合したのだった。その後、なんとも度を過ぎた猛暑に足止めされていたのだったが、秋陽に誘われて、では話題の果樹園を、と訪れる気になったのだ。
圏央道のインター近い、畑に畑が連なる田園地帯の一角にこんもり繁った林がある。果樹園と聞いていたものだから、それらしい囲いでもあるのだろうと思っていたのだが、ナビ曰くどうやらその林が「果樹園」らしい。
車をにじり寄せると、それと気づいたUさんと思しき人と息子らしい若者が手招きをしている。その林らしい果樹園の入り口辺りだ。その時点で「おもしろい果樹園」の実像が垣間見えた。自然体の果樹園、自然農耕の果樹栽培版にちがいない。
挨拶をしながら、とんと忘れていたUさんの容貌を後追いで思い出した。息子だという青年は細めの体格で気さくな風情がいい。嫁さんは、看護師の仕事の傍ら果樹園の作業もこなしているという。これ幸いと「闘癌記」の曰くを披露して、時ならぬプロモーションはお座興だ。
やがて、Uさんは奥方を伴って戻って来た。小ぶりで何とも好印象のご婦人だ。見るからに人付き合いの不得手そうなUさんが世間に通用している絡繰りを、私は即座に見抜いた。後刻、私はご両人を前に置いて、不躾ながらと臼井夫人の品格を称えて聞かせた。その折のUさんの百面相的反応を忘れない。夫人は身をよじって照れたのは言うまでもない。
さて、U果樹園をひと言で著せば、「果樹のある自然園」ということだ。樹木の成長を自然の摂理に任せ、虫から鳥まで自然にあるがままに放置してそれぞれの生活パターンに沿った振る舞いをさせるのだ、とUさんは胸を張る。
南米原産のフェイジョアの栽培は、なんと県の研究機関が数年で匙を投げた研究を、40年ものあいだ独自で進めて、いまや流通ルートに載せるまでに品種改良を果たしたという。偉いものだ。後刻聞いたところでは、公的な学問は小学校まで、すべてラジオや新聞からの情報で独学したという。「ここぞという処は樹木に話しかけて教わるんですよ…。」と、訥々と語る。
果樹園とは云えかし、園内はひたすら混雑の極みだ。雑草は生えっぱなし、道なき道がいずくともなく園内を這う。僅かに開けた場所に大根が三畝、獅子唐の株がいくつか、その先に蕗(ふき)がこれも三畝。温州蜜柑あり、柚あり、金柑もある。わが家の金柑とは粒の大きさが違うが、やはり堅めだ。「やはり、この辺りでは金柑の堅いのは仕方がないのかね?」と訊ねれば、Uさん曰く、いっとき遮蔽してやればどうにか、と言う。それでも果樹園の金柑は皮がむける程度の堅さで、剥いて食ったら懐かしい金柑の甘みがじんと沁みた。やはり果樹園だけのことはある。
蕎麦好き同士、昼食を蕎麦屋でご一緒した。結構な新蕎麦を久し振りに手繰る。この蕎麦は麺には文句はないが付け汁がなんとも軽すぎる。並木藪の生醤油並みが好みの私にはそれが何とも無念。
折角だからと愚妻はUさん夫妻に家の鶏たちを見せたいという。足を伸ばしてわが家へ、そこで鶏たちを披露した。その途次、金柑を摘んでUさん曰く、「これはうんと堅いね」さもありなん、ここは果樹園ではござらぬ。
庭の「果樹」を見て貰う。ブルーベリーは大胆に剪定、脇枝を要領よく捌いて挿し木の「苗」を即製したのには驚いた。これこれこうするように、とコーチを受けて春の植え付けのために苗をゲットだ。
渋柿も同じこと、主枝を一本決めて残りをばさばさと切り落とす。大胆なはさみ捌き、とても真似は出来ない。紅玉となると直立の枝を紐でお辞儀をさせて縛る。二三本そのような処置をしてUさん曰く、「こうすると、木が上へ伸びる時期は過ぎたと思って、脇芽が出始めますよ」。
傘寿を越えて、終ぞ聞いたことのない話しだ。独学で覚えたものだから、と。いや、これは面白い話を聞いた。さて、この紅玉、春になったら上へ伸びるのを止めて脇枝を出すや否や。
別れ際にいい土産を貰った。フェイジョア、山椒の苗一株、大根二本、そして手作りのブルーベリージャムとミョウガの佃煮。
さても快適な秋日和の一日だった。
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