メガソーラーの無残

すごい映像を見た。陽の当たる山の一面がうろこ状の模様に覆われている。ズームをして見れば、それはいま話題のソーラーパネルの群れ、太陽光発電の仕掛けではないか。陽の当たる山の一面、なるほど太陽光発電に格好の場所だ。それにしても山肌を削って貼られたソーラーパネルの数の多さがまともではない。切り倒された木々の数を思えばこの山が失った資源の量は只ならぬものだ。いや、資源以前にこの山肌の「はたらき」がどれほど損なわれているか、思うだに背筋が凍る。

山肌のはたらきとは、言うまでもなく、この山肌に生き生きと繁茂していた木々が失われた結果、保水性は失われ鳥たちの住処は消え、木々の根が支えていた土壌が脆弱になった結果、事態によっては山崩れの引き金にもなろうという惨状だ。

晩春だったか信州に旅をして、「メガソーラー反対」の看板をあちこちに見たのを思い出す。その時はたまたまこの映像のような現場を見てはいなかったから、メガソーラーの実害を知らずに通り過ぎた看板だったが、今にして思えば、あの信州の山々が陽の当たる一面を剥がれてうろこ状のモザイク模様になっている姿が眼に浮かぶのだ。これは歴然たる犯罪だ。自然の冒涜だ。人が己の利便のために天然の仕組みを恣意的に破壊している。

数日前、こんな映像も見た。某大学教授が波力発電の可能性を追っている姿を映している。どこかの海岸で中磯に何かスクリュー状の物を取り付けた仕掛けだ。岸壁にうち寄せる波のモーメンタムを取り出して発電する波力発電の構想だそうで、実験ではすでに見るべき成果を挙げているという。それを見ながら、私はわが膝をしかと叩いた。それというのも、素人の戯れ言と笑われながら、波力発電、特に東岸沖を滔々と流れ上る黒潮からの発電をかねてから周囲にひけらかしてきたからだ。「黒潮だ。黒潮から電気を取れ。黒潮の潮流を追って随所に浮動発電機を並べて発電すればいい!」なんとか黒潮から電気を取り出してほしい。黒潮に乗って泳ぐ魚たちを踊らすのは本意ではないが、魚たちもそれが無害と知れば意に介すまい。

恒常的に地球の温暖化を来す化石燃料に依存する火力発電の限界は疾うに来ている。持続可能な代替エネルギーの確保は待ったなしだ。太陽光は確かにその有力な一つには違いなく、その活用が叫ばれるには大いに理がある。

だがしかし、人間の科学は太陽光発電と称して山肌を剥いで鏡をお日様に向けて並べる程度の児戯しか思い付かないのか?見よ、今次災害のなんと多くが山崩れから起きている現実を。無計画な伐採に加えて、人工的なソーラーパネルをこの狭い国土に敷き詰める行爲は、愚行を越えて罪科でしかない。見る限り人間の科学は程々のものと知った。それも自然を破壊し尽くすという副産物を生むとなれば、山肌に鏡を敷き詰める太陽光発電は二酸化炭素を吐き出す化石燃料の火力発電と何ら変わらぬ「紛(まが)い物」ではないか。

さて、原子力の平和利用を目指す原発は、クリーン代替エネルギーとして期待されながら、福島以来高い壁を前に立ち竦んでいる。英知を尽くしての技術開発が進むなか、原発をめぐる動きはいま、ためにする議論を生き甲斐にする一部政治勢力の企みで空しい政治問題に歪められている。木を見て森を見ぬ輩こそが、原発の非を唱え太陽光の理を叫んで山肌を剥ぎ、木々を薙ぎ倒し、土壌を損ない、自然のあるべき姿を変容させて、やがて土砂崩れから洪水への自然破壊を引き起こしている現実を知って欲しい。

やや話を逸らせてしまったか、あの映像を見て絶句しての話としてご寛恕いただきたい。見聞きする天変地異の余りの凄まじさ、折からの熱波の障りがきつく、流石気丈の私も高齢の荷をやや重く感じる今日この頃だ。

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