「風とともに去りぬ」の巻 (30)

1956年の夏の思い出、今にして振り返れば汗とバナナオイルの混ざった臭いと幾許(いくばく)かの涙の数ヶ月だった。トムの笑顔とディックのジーンズ姿、芝の緑と青い空、薬かと思ったコカコーラの味、左から右へ通りすぎた黄土色の小切手の手触りなどなど、あれは曾てない密度の濃い時の流れだった。文字通りの新天地で、全方向からの経験が容赦なく降りかかるアップアップの日々。あっという間にとは言えない、ひしひしと流れた時間だった。

それだけに、新学期が始まる9月が日毎に近づく最後の数日は、一体何が起こるのやら、大学それもアメリカの大学に入るとの実感が湧かずに、要らぬ緊張感に苛まれた。入学と言えば、浦高に入ったときは難関を突破した快感と達成感で雲に乗った気分だったが、目前にしたBJC(Boise Junior College)は旧女子校、場末の2年制短大でハーヴァードやプリンストンではない。難関とか突破とかという感慨はまったくない。アメリカ見たさの蛮行を辛うじて成し遂げてこちらの岸に泳ぎ着いたという、安堵感に近い感覚か。だから、あの時の緊張感はびっくり箱を前にした興味半ばぞくぞく感半ばというのが中(あた)っているかも知れない。

アイダホの9月は日本では初秋だ。乾いた空気には夏の暑気から秋の冷気の気配も感じられて、日本とは違う9月開講の理由を実感した。入学式はAuditorium(講堂)で始まった。仕来りの段取りからチェイフィー学長の新入生歓迎の辞だ。やや抑えた感じの先生の声が今でも耳に残っている。内容はと言えば、その場ですべて聞き取れた訳でも無かったらしく、今は何も覚えていない。ただ、この人のお陰で今ここにいるという現実を痛感して、これからの時間努々(ゆめゆめ)空しうすべからずの思いを肝に銘じた。

1時間余ほどの儀式が終わり、新入生は三々五々Administration Building (学棟)に移動してregisgration(登録)の段取りだ。授業料や諸費の支払い、教科書の購入、寮生は部屋の割り付けなどを済ませるのだが、最も肝心なのは進路相談だ。2年制だから日本なら教養学部、一般教養だから専門別の振り分けが何にしても、理系文系ほどの色分けはすでに仕切られる。

私はその進路相談ではたと立ち竦(すく)んだ。ドルは大切なのに一年ばかりアメリカに行って何ができるかと嘯(うそぶ)いた大蔵省の役人の顔が浮かぶ。見ていろ、1年とは方便に過ぎぬ、一丁仕事をして帰って見せるぞと内心息巻きながらも、さて、どんな進路を選びどんな課程を敷くべきかが、迂闊にもその瞬間思い浮かばなかったのだ。

思いに沈みながらも一点は見えていた。英語だ。英語だけは誰にも勝る知を身に付けねばならぬ。これは基本中の基本、その上にこその専門科目だ。よし、最初の1年は、いや、あわよくばBJCでの2年間は英語の習得に宛ててもいい。今から思えば、後に打ち込むことになった音楽は音の字も浮かんではいなかった。

そうと決めた私は文系とくに英語(国語)に特化した進路相談を受けることにした。3人ほどのカウンセラーが私の話を聞いてくれた。1人目からは、日本からの新入生だとしてどことなく特別待遇を受けた記憶がある。相談内容も言葉の不自由さやアメリカへの思いなど、地元生ならあるまい質問があり、生意気にもむっとした記憶がある。

2人目はGottenburgという先生だ。たしか社会学専門で日本を意識してかやや突っ込んだ質問を受けた記憶がある。終戦後未だ10年後にアメリカに来ての実感めいたことを聞かれて、それも言いたいこれも語りたいと思う気持ちを思うように披瀝できないもどかしさが今でも遡及して無念極まる。

そして3人目のカウンセラーはお目当ての英語、つまり国語専門のDr. Hatchだ。60絡みの女性だ。私はこの人にこれまで内に隠(こも)っていた勉学への思いと英語への思い入れを言葉の限り語った。チェイフィー先生に話した内容のダイジェスト版だ。30分で思うことを英語で書いてくださいと青い表紙のレポート用冊子とボールペンを渡され、傍らの小部屋に招(しょう)じられた。

私はその折り、神経を研ぎ澄まして一文をものした。Eddy(渦)というタイトルの500字ほどのエッセイだった。自分がその瞬間置かれている状況を渦に例えて一心に綴った。いまは手元に残ってないその一文は、私が英語で書いた最初の書きものだった。果たせぬ夢だが、あれを今読み返して見たいものだと思う。さぞ支離滅裂だったろうが、あの瞬間の只ならぬ心境が読み取れるだろうに。

Dr. Hatchは私のエッセイを読みながらしきりに頷いていた。ある部分を読み返してはたと冊子を閉じた。An eddy it is.先生はそう言って冊子を渡してくれた。たしかに渦だと言うからには、私のあの瞬間の心の揺蕩(たゆた)いを見抜かれただろう。励ましの言葉を背中で受けて部屋を出るその間際に、扉ノブの引き具合で一陣の風が舞い一片の紙が机から床に飛ばされた。それを見た私は咄嗟に”Gone with the wind….”と口走ってそれを拾い先生に渡した。その時のDr. Hatchのはっとした表情をつい先ほどのことのように思い出す。そこには流石だとも、音羽屋っ!とも聞こえる笑顔が一杯に広がっていた。

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