私は音楽には目がない。聴きも歌いもするし、興が湧けば創りもする。好き嫌いはややあって、シューベルトやモーツアルトの繊細と調和に溶け込めてもマーラーやブルックナーの冗長と強迫には閉口する。音を編むバッハは秩序の妙、仕事に疲れた頭の解(ほぐ)しにあれほどの妙薬はない。
何を隠そう、実は私は音楽が本業で物書き翻訳などは生きんがための方便、勉学と呼べるものはお玉杓子のみ、哀れ余技に助けられて傘寿まで馬齢を重ねたという次第、せめて残んの日々は「言葉」ともども「音」との触れ合いに心残りのなきように、と日々戒めている。言葉と音の因果関係は、私の場合至極深い。詩と音楽のそれではなく、何気ない言葉の繋がりにも音楽を感じるという意味で、私はやや特異体質だ。
よく言われる七五調は、日本語について言えばその典型だ。私はネットでは志賀寧という名で出没する。寧は「やすし」とは読まず「ねい」と読ませる。志賀に繫げて流すと「しがねい」となるところに巧みがあって「しがねえ恋の情けが仇、命の綱の切れたのを・・・」ご存知、歌舞伎の「与話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし)」、与三郎の科白だ。頭を取って「しがねい」、文字って志賀寧。悪のりも私ほどになるとほどがある。さん付けで志賀寧さんを逆さ読み、それを横文字にしてNathan Shigaと転訳、私はこれを英語書きの場での別称としている。
名誉のためにお断りするが、この悪のりの裏には、実は私の言葉と音についての並々ならぬ拘りがある。散文韻文を問わず、二つは共生関係にあって美的補完性がある。「花が匂う」と言う言葉の群れには、必然的にその意味の音の流れが生まれる。音の流れを旋律と呼ぶなら、心ある旋律はまたその心を映す言葉の群れを求める。謂わば、言葉で言えることは音で響かせる、音で歌うものは言葉で描けるものだ。
私がシューベルトを好む最たる理由はそこにある。彼は音楽家で詩人ではない。しかし詩人でなければあれほどの歌曲は書けない。彼は謙虚に言葉をゲーテらに求めて珠玉の旋律を織り込んだ。私は常々思うのだが、もしシューベルトが「わが詩にわが旋律を」と思い詰める時があったなら、魂を奪うほどの名歌が生まれていたのではないか!
いや、思い込みからとんだ脱線をしてしまった。
目がないなかに歌うことがあると申しあげたが、私はアメリカ留学時代、大学のChoir(合唱団)に加わってバッハものを歌っていた。若さゆえの功名心から、モテットのテナーなどを引き受けて、面白いアジア人のバッハよ、と顰蹙(ひんしゅく)に近い評判もとったものだ。本人は結構本気で、あの階段を登り降りするようなバッハの旋律をむしろ快感と感じて愉しんでいた。烏滸(おこ)がましいが、あの手の旋律をこなすにはほどほどの技がいる。それをほどほどに薬籠に収めた頑張りをお認めいただけると有難い。
いや、またまた脱線気味だ。話を戻そう。
私は声の不調が気になって先日埼玉医大医療センターに赴いた。数年前に声帯の検査を受けた折の先生が気に入ってのことだ。名の「是」を「すなお」と読む田中先生だ。きっかけは前立腺以来癌づいていることから、喉周辺に異常がありやなしや、せめて気に入りの先生に診てもらおうという魂胆だ。
細かいことは省いて、田中先生はこう言われた。
「島村さん、悪いものは一切ないから心配なし。弁が二つ傷んでいます。自慢の高音が辛いでしょう。」
そういうことか。悪いものの件はそっちのけで、私は先生の高音が辛かろうという労りに拘った。思いあたる節があるからだ。バッハは無理にしても、並みの譜ならGは軽かったがいまは確かに辛い。せめてEは死守したいものだと、私はその日、そう思ったのだ。ここ一番、鍛え直すに如くはなし。
愚妻に設えてもらったカラオケ装置が翌日から蘇生した。抒情曲から歌曲、はたまたパヴァロッティ張りのソレントやオーソレミオまであるものだ。勿論、昔の流行り唄も混じっている。一日おきに恐る恐る声出しだ。Eを目指して特訓中だがまだほど遠い。
三度目の脱線だ。これは行き過ぎである。この稿を閉じるにあたりご報告がある。
実はこのHPには「戯れ唄草子(梟の唄)」というカテゴリーがある。バッハは程遠いが私が好んで唄う数々をひけらかそうという悪巧みだ。すでに2、3の戯れ唄を載せて折々に聴かれている気配だ。この場に新たに三曲を載せた。抒情曲三曲♪赤とんぼ♪というものだが、これが実は前段の声出しの成果第一弾だ。先ずは柔らかく、馴染みの叙情歌の楽な音域に遊んでみたものだ。よろしくご笑味ください。
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