お騒がせした前立腺癌の治療が済んでほぼひと月になる。直前のいらいらや治療中の只ならぬ感覚、そしていまの圧倒的な開放感に至る気持ちの揺れをどう語ったらお分かり頂けようか。
楽曲のソナタ形式なら、主題は放射線治療の薄気味悪さ、意に沿わぬまま刷り込まれてやがて展開する。ジージーというあの旋律が38回のロンドで奏でられコーダから終曲・・・。前奏を入れれば三ヶ月の『長期公演』だった。
そしてひと月、もうすぐひと月だ。魔の三ヶ月を思えば、時間の流れが如何に主観的なプロセスかが如実に分かる。放射線治療は後遺症と免疫機能の減退がポイントだと聞いて流石に意識したが、さいわい顕著な変化がなく日を送ってひと月、妻がそろそろセントラル復帰は如何と提案、今日三ヶ月ぶりに出向いた。
セントラルは最寄りのフィットネスクラブで、手頃な運動施設にプールがある贔屓の場所だ。スパが快適だから、運動が億劫でもひと風呂感覚で寄ることも多い。私の放射線治療に合わせて3ヶ月休止、今月初めから再開の手筈だった。
私は治療明けの初めてのプール、妻は私の通院でハンドルを握った三ヶ月の運動不足を補わんとの心積もり、勇んで乗り付けた。
プールは私の好みの運動場だ。15往復の水中ウオークから45分のクロールが私の定番だ。25メートルだから知れた距離だが、傘寿を越えると45分休みなく泳ぐにはそれなりの思い込みと覚悟がいるのだ。
今日は久し振りとて多少の手加減はしようと思って水に入って驚いた。水中ウオークがほぼ4往復で右の太腿が痙(つ)ったのだ。こんな筈はないと強いて歩いてみたがやはりいけない。放射線治療は免疫がどうのと言う話を思い出した。そうか、こういうことか。やはりここ一歩で力(りき)が足りない。
水中ウオークを切り上げて隣のレーンに移る。ウオークの為体(ていたらく)から泳ぎにも障りがあろうと事前に用心して、ごくゆったりとローリング豊かにクロールを試みる。快調だ。水泳はいい、とフレッドが言っていた。アメリカ時代の友人で水泳は関節にいいと薦めてくれた。たしかに関節に親切な運動だ。
それが、である。45分の余裕は見ていたのだが、泳ぎ初めて10分ほどで息が上がってきた。こんなことはないがと逆らいながら泳ぐのだが、体が妙に沈む。体重計ではむしろ軽くなっている体が水中で沈みがちになるのだ。言うまでもない、推進力が足りないからだ。ウオークで足が、クロールで腕の力が萎えている。私は15分そこそこで水を出てジャグジーに向かった。
三ヶ月ぶりのセントラルで、私は放射線治療のなせる業を体全体で実感した。萎えているのは筋肉に見えてそうばかりではない。歩いていて、泳いでいて私は自分の気力も萎えていることに気づいた。あるはずのもう一歩の踏ん張りがなくなっている。これは自分ではない。こんな筈はないと思うから、あの三ヶ月の遅れをこれからの数ヶ月でしっかり取り返そうと思う。努力は絶え間があってはならぬ。今日からフィットネスの復活である。
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