トム:その1(24)

その日、わたしは大学構内の男子用寄宿舎で目覚めた。Driscoll Hall という二階建て、コの字型の煉瓦造りの建物だ。夏期休暇で学生たちが引き払ったばかりの寄宿舎は、わたしのほか誰一人いなかった。わたしのために一階西端の部屋が例外的に用意されていたのだ。

辺りの散策をして、部屋に戻って周囲の造作を済ませた。辞書は英和に和英、それに類語、文庫本や座右の書籍、それにいま思えば奇体なポケット百科辞書を持って来ていた。それらを立て付けの机の隅に並べ、卓上時計(これは持ち帰って、いまも古色蒼然、棚に居座っている)をブックエンドにして抑え込む。目の前の壁には、タブロイド判ほどのリンカーンのデッサンを貼り付ける。なぜリンカーン?当『苦学記』の読者はご記憶かも知れないが、査証を取りたい一心でアメリカ大使館に通っていたとき、語学力の試験で出たリンカーン話がきっかけで、心の励みに求めたものだ。わたしは、改めて壁のリンカーンを凝視した。ここからすべてが始まるのだ。

さて、今日はトムに会う日だ。暑中休暇中に構内の雑用で資金を作る、その段取りを一切手引きしてくれる筈の人物だ。さて、いかなる人物か。臍(ほぞ)を固めて、わたしは指示された場所に時間通りに出向いた。生々しい苦学の始まりである。

所在なく立ち竦むわたしの前に、一人の作業服の老人が歩み寄って来た。どうもらしくない『人物』で、わたしはやや戸惑った。苗字は忘れたがトムなにやらと名乗られた老人は、歩き方からもう七十代だろう、なんとももの柔らかな好々爺だった。物言いと仕草で、どうやらこの人が手引きをしてくれるのだと気づいて、わたしはふわっと気が緩んだのを覚えている。

トムは、繋ぎの作業服を着て噛みたばこを絶やさない一見変わった人に映った。だが、なにを隠そうこのトムが、あの要のひと夏、わたしの絶妙な英語教師になってくれたのだから、この世の中、you never know how the ball bounces、どこになにがあるか分からないものだ。素朴なお爺さん然としていたから話し易かったこともあるが、トムは何よりもわたしの矢継ぎ早の質問にふわりふわりと答えた。それが、さなきだに言葉の「方向感覚」がままならぬわたしには、何よりの杖になってくれたのだ。金田一京助が川辺の子どもたちからアイヌ語を収集した逸話が、突然わが身の現実になって、トムを介して、これがわたしの日々の生業になった。ちょっとした言葉のやりとりでトムは辞書代わりになってくれた。

トムの仕事はジャニター、構内の掃除や片付けだった。夏期休暇中に構内の教室、講堂から廊下、庭の芝刈りまで引き受けていた。もちろん数人のジャニターたちの一人だったのだが、チェイフィー博士がわたしの相手にとトムを選んでくれたのだった。まさに慧眼だった。思えばトムに伝授されたアメリカ式掃除術の奥義がその後の学生生活を支えてくれことになるのだが、その時点では予感すらもなかった。

奥義と云えば掃除ばかりではない、肝心の日常会話の要諦をわたしはトムから学んだと思う。教科書から、それも日本の紋切り型の英語教科書からはとても浮かばない表現と発想を、わたしは彼の何気ない物言いから吸い取ったのである。それは文法などではない、構文などでもない、自然体の語り口を文字通り口移しで教えてもらった。トム自身は教えている感覚などなかっただろう。口上の言い回しを、アメリカ人の間で交わしている言い回しをわたしにさらっと投げかけてくれた。そこが何とも痛快なことだった。わたしは日ごとに緊張感が消えてゆくのを感じた。

しめた、とわたしは心中ほくそ笑んだのである。これは万巻の会話手引き書に勝る捷径を手に入れたな、と直感したからだ。それからというもの、わたしは用もないのにトムにものを尋ねまくった。当意即妙、トムは即座にドンぴしゃの答えでわたしを有頂天にした。これが所謂mouth-to-mouth というやつだ。端唄を口移しで覚える、あれである。アメリカに着いてから半年、わたしはおそらくあれほど英語扱いに上達した時期はなかっただろう。根から呑み込みの早い(少しばかりの我田、お許しあれ)わたしには、文字通り干天の慈雨を地でいく状況だ。

シアトルの港であれほどうろうろしていた自分が豹変した。嘘のような出来事だった。わたしに語学の才能があったからなどという次元の話じゃない。あれはまさに物理現象だった。ある環境に置かれた人間の脳があたかも漏斗のように知識を呷(あお)り喰う、知識受容体ごときものに変貌したとしかいえない。才能なんかじゃない、どんな脳味噌でも然るべき状況に置かれればそうなるものだ、わたしはそう確信している。要は言語習得の要諦とも云うべきプロセスだ。わたしは後に英語の習熟する手段を問われるたびにあの頃の自分の心理状態と置かれた環境の相乗作用を思い起こして熱く語るのだ。「空きっ腹を生かせ」と。

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