「もう、日が暮れるぞ」

お気づきだろうか、わたしはこのHPの冒頭に Age Counter を埋め込んで貰った。秒針に身を刻まれる日々を、今風に「可視化」して見たのだが、絵面(えづら)から「時」の科白が聞こえるようだ:「おい、なにをしとるか、もう日が暮れるぞ」。

年齢カウンターなどいう言い回しがあるのかどうか、ともかくわたしのリアルタイムの年齢を秒から年まで、ご覧のように文字通り刻々と表示する仕掛けだ。酔狂な、と申す勿かれ。わたしにとっては、執念と言うか、妄念と言うか、いやむしろ信念とも言える日頃のある「思い」を巧まずして具体化した、これは途轍もなく卓抜なアイディアだ、と独り悦に入っている次第。

わたしは本年とって八十二歳、二年前に傘寿を迎えたとき、わたしは曾てない心理的な切迫感を覚えた。還暦やら古希やらの区切りの歳では覚えのなかった、きりきりと圧迫される感覚を痛いほど感じたのだ。その折にどこかへ書いた「時間が聞こえる」という感覚をひとつ文字盤で、それもデジタルで目に映るようにと企んだのがこれだ。

さて、いまわたしには、それまで聴覚神経で聞こえていた秒針の音に添えて、秒ごとに加算する視覚的な刺激が増幅されて迫っている。ストレスか、と問われれば、否、これがむしろ快感とも言えるモーメンタムにすら感じるのは何故か、わたしにも分からない境地なのだ。白米の美味しさに千鳥酢を豊穣に込めたような、新鮮か美味とでも言おうか。

いまこれを書きながら、わたしの視野にはそのカウンターが動いている。秒値が変化している様子に、わたしはある種の生体反応を覚える。気なしか筆の走りが滑らかに、物思う回路から何かの抵抗感が薄れている感じがする。

このカウンターが進むほどわたしの生命は間違いなく先細るのだという思いが、不思議なエネルギーを産み出すように予感するのだ。寿命を決めて掛かって、カウンターをcount-downに設定するのもあり、と承知しながら、わたしは敢えて空天井へcount-upをすることを選んだ。

老境のもの書きの妄念と思し召すか、怖い者知らずの健気とお感じ頂けるか、その感性の襞(ひだ)は読者諸賢に触れて頂くしかない。

(注)カウンターは、パソコンモードのトップページで見ることができます。スマホモードでは表示されませんのでご注意ください。

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