鶏卵考

貧しい時代があったのじゃ。いや、銭金の有る無しじゃなく、食べ物ひとつとっても足りない時代があったのじゃ。生産と消費の釣り合いが取れなかった時代、人々はものを珍重したものじゃ。例へばの話、鷄卵つまり鶏の卵は、その時代には産卵が自然、つまり鶏次第じゃったから数量が限られ、鷄卵は珍重された。病人の見舞いには、籾殻に埋め込んだ卵が、なににもまして喜ばれたものじゃ。

わしは六人兄弟妹、育ち盛りを田舎で過ごした。山羊もいれば鷄もおったから、乳も飲めたし卵もあった。それでも、卵は何羽かの鷄たちが産み落とす数が上限じゃった。勢い卵争いとなり、卵かけご飯の贅沢は稀なことじゃった。運良く手に入っても、一個を多めの醤油で解きほぐし、卵の味を三杯の飯に分けて楽しむのがせいぜいだった。それでも卵には味はひ楽しむ味覺があったのじゃ。

そして幾星霜、卵は變はつた。卵のふりをした別なものになった。鷄たちが産んだものではなく、飼料から一切が人爲の似非卵が鷄の体を介して産み出されたものじゃ。生卵の奇異な臭いには辟易する。まして、ふっくら炊けた飯にとても割って掛ける氣にもならぬ。そもそも、人爲の飼料になにが混入されているか知れたものではない。似非卵を産まされる鷄たちが病死せぬように、飼料に抗生剤が処方されているやの話しを耳にするに及んで、わしは決心をしたのじゃ。鷄を飼おう。鷄卵を採ろう。卵かけご飯を食おう。わしは資金を投じ鷄舎を建て、御殿場くんだりまで雛を迎えに出向いたのじゃ。

そして二年余、いまわしの庵には物々しい鷄舎が建ち、十数羽の鷄たちがせっせと自然産卵をしておる。鷄たちは菜園の残り菜をふんだんについばみ、異物を排してあくまで手作りの餌で育つ鷄たちになんのケレン味もない。卵かけご飯の夢は叶った。

わしはつらつら思ふのじゃ。卵は栄養豊かなものじゃ。卵を安価に多量に供給したい。ここまではいい。じゃが、利潤を上げたい養鷄業は飼料や環境に過ぎたる人爲を施し、狭所に鷄を閉じ込め産卵率を上げることのみに執心したのじゃ。結果はどうじゃ。價格の卵價はたしかに下がった。が、それ以上に下がったのが價値の卵價じゃ。價値とは栄養ばかりでなく安全と味覺があるじゃろう。いわば「食べて安心」「美味しさ」じゃ。美味しい卵はスーパーの棚にはもうない。あるという御仁がおられたら、その御仁は卵の本来の味を知らぬ憐れむべきお人じゃ。

美味しい卵をご飯に掛けたければ、自然産卵の卵を探して何倍もの錢を払うか、自分で手前養鷄をして楽しむか、そのどちらかじゃ。いや、いびつな世の中にぞなりにける、ということか。

ご機嫌よう。

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コメント

    • Wye Shimamura
    • 2017年 2月 09日

    この記事、卵を産んでくれる鶏たちの世話をするわが伴侶の気苦労に触れてなかったことに、画龍点睛を欠く感あり。巧みな相槌あっての刀鍛冶とか。とんてんかんの醍醐味は、リズム感溢れる槌音次第。折々のひと槌、よろしくお願いします。

    • amberforest
    • 2017年 2月 09日

    時を駆ける少年が、人生をかけて英語達人となり、愛情をかけて鶏を育て、黄金の卵をご飯に掛ける。時間をかけてその話を読みながら、コメント投稿の安定性に欠ける私は、もっと書けるようになりたい、と思うのであります。

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